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2025.09.19 日常

「大きく、大きく。。切る!」

【残暑見舞い申し上げます。】

という言葉を使いたい.。。。
皆様こんにちは、そしてこんばんは。SIMPLE is…の星野です。

 

まだまだ夏の暑さは続き、あっという間に9月も半ばとは思いつつ、

季節と気温が全然合致していない現在に、

私の体は追いつかずに、未だにNクールのひんやりさに心を奪われております。

 

そんな、私。ふと、

 

「大切」

 

という言葉の意味を人生で初めて調べました。

 

今まで気にも留めなかった、

当たり前に寄り添う言葉に、ふと想いを巡らせてみました。

 

短文のメッセージを感謝の言葉と共に伝えるタイミング、、

今までお世話になった方に寄せ書きでメッセージを書くことがあったのです。

 

すごく難しいのが、

(私のブログを目にしてくださる方は大いに伝わるかと思うのですが、)

非常に、尋常にお話、考えを、想いを詰め込むのが下手くそな私ですので、

兎に角にも、、、。

 

収まらない。。。

(直径3センチくらいのメッセージカードに収める。。。なかなかです。)

 

載せる言葉には、意図を意味を、、、

と理屈っぽく、かつ大胆に、ダイレクトに!

(収める技量はないのに欲張りですね。それほどにお世話になりました。ここでも感謝を、、)

 

想いを載せる言葉はなんだろうか。と真剣に考えた結果、

ネット辞書を開いて、

この言葉を調べるに至ったのです。

 

大きく切る。何を切るんだ。

うーん、、、。なんだろうか、、分からない。。

(という学のなさは一旦置いておいて。。。)

切実にとか、、、?

何だろう。

 

 

とにかく。。

「大きく切る」だ。

 

 

皆様はこの言葉の始まりをご存じでしたか?

 

 

結論、始まりは以下の通り。

 

「大いに切迫している。」

「急を要する。」

「これが大切・重要ということの意味。」

 

 

なんとも、キリキリしていて、

単純に「スパっ」としている感覚で、

「大きく切る」はある意味新鮮さもなく、

(当たり前のことをそれっぽく言った人みたいな感じになってしまいましたが。。。)

感覚として間違ってはいないと心の中で感じました。

 

 

では、何を切るのか。

 

 

この直径3センチのカードの中に想いをしたためるということも、

限りある人生の中で、誰かと過ごす時間も、

(自分ひとりで過ごす時間もものすごく尊いものです。。。)

毎日汗水垂らして、働いて得た対価も。。

 

総て、限りあるものの中で、

大いに切迫はしていないけれども、

大事にしたい何かを守る、そこに意識を、時間を、価値を見出すためには。

 

 

「切る。」

 

 

意識を向けたいものに、そこにだけ集中したいという願いも込めて。

 

 

日常で溢れている煩わしさからは離れた空間。

掃除やメンテナンス。

そして、ありふれた日常の中に見え隠れする関係性という名の縛り。

 

あ、、、、自意識過剰ってやつかもしれないけども、、、

なんとなくお隣さんまた外でBBQね。って思われてないかな。

おすそ分けとかした方がいいかな。

でも、お返しされるかもしれないしな。。

それはそれで有り難いけれども、

自分からきっかけを作っておいてちょっと億劫ってのも失礼かな。。。

あー、パパ、、、。そんなに煙もくもくさせちゃうと、、、、。

 

 

なんて、考えだしたら止まらない。

 

 

「誰もそんなに気にしてないよ。」と、もし仮に言われたとしても、

(私はそんな風に仮に言われたとしたら、少し悲しい気持ちになる気がします。)

「私がそれを心から感じ取れない以上、難しいの。。。誰かが悪いってわけじゃないし、休みにBBQも有難うって思ってるよ。でもね、、、」

 

こんな気持ち。。意外にもあり得るのではないでしょうか。

 

自分の内に宿る大切なものを守るために、そして誰かとの関係性を守るために。

内と外。煩わしいことを。

 

 

 

「切り取る。」

 

 

これを家という形あるもので守るのが私たち、

SIMPLE is…の家づくりだと考えております。

是非、一度ご体感ください。

 

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――――――

余談です。

大好きよりも、大切という言葉の方がより一層の重みを感じてならない、、。

(これは完全に星野の感覚です。。。)

けれども、同時にもどかしさや、重みがあるからこそ同時に感じることは、

言葉は思った以上に不自由だということ。

 

親戚が山の麓で寺院を開いていて、毎年遊びに行きます。

なぜかぼんやりと鐘を鳴らすと、

どこか心に静けさが宿るというか。。。

日常の中からまさに自分自身を「切る。」

 

このブログを見てくださった方に、お会いできることを楽しみにしております。

それでは。